アニメ『幼女戦記』あらすじと感想 ※ネタバレ含む

幼女戦記とは

2016年12月までのシリーズの累計は100万部。東條チカによる漫画が『月刊コンプエース』(KADOKAWA)にて2016年6月号から連載されている。
「第一次世界大戦」と「第二次世界大戦」が混ざったような状況のヨーロッパに似た、初めて世界大戦を経験する世界を舞台とし、その世界に幼女として生まれ変わった元日本人のサラリーマンが軍へ入隊、自分が所属する「帝国」の兵士として敵対国家群と戦っていく。
本作の読者からは「幼女が主人公だから萌え系だろうと思ったら、本格的なミリタリー作品だったので驚いた」といった感想が寄せられた。(wikiより引用)

毎週の新聞による本の売り上げランキングには常に10位以内に登場しており、先日は電車内でも宣伝の広告を見かけるほどの人気だ。

統一暦1923年6月。
金髪碧眼の幼女、ターニャ・デグレチャフは帝国軍士官学校の最終課程、
部隊勤務の一環として北方軍管区ノルデン戦区の第三哨戒線で研修に励んでいた。
航空魔導師として輝かしいキャリアを踏み出すための第一歩である研修は
何事もなく無事に終わるはずだった。

しかし事態は思わぬ方向へ転がっていく。
協商連合の越境侵犯をきっかけに帝国と協商連合は戦争状態に突入。
戦時体制への移行に伴い、観測任務が割り当てられるも、
協商連合軍による奇襲が発生し、
ターニャは敵の魔導師中隊と単独で交戦しなければならない事態に陥ってしまう。
多勢に無勢で味方が到着するまで持ちこたえることなどできるわけもなく、
しかし逃げようものなら敵前逃亡で死罪は免れないという絶望的な状況。
何としても生き延び、上層部に対して最善を尽くしたとアピールするため、
ターニャはとある作戦に打って出るのだが……。

“其れは、幼女の皮をかぶった化物――。”(公式サイトより引用)

幼女戦記-あらすじ-

21世紀初頭の日本でサラリーマンとして生活していた主人公は、リストラ勧告した社員の逆恨みによって命を落とす。死後の世界で創造主を名乗る「存在X」と邂逅し、リアリストな言動と無信仰さを咎められ、戦乱の世界で苦労して反省しろと、ターニャ・デグレチャフとして別世界へ転生させられた。

転生した世界は魔法技術が存在するものの、大まかには約100年前の欧州に似た世界で、自身が生まれ育った「帝国」は技術大国だが経済が低迷している上に周囲諸国と度々問題を起こしており、やがて北方のレガドニア協商連合と開戦したのを皮切りに、フランソワ共和国、ダキア大公国、ルーシー連邦といった周辺国が次々と帝国に宣戦布告し、多方面戦線を余儀なくされていく。

前世の記憶を維持したまま転生を果たしたターニャは、戦乱の中で生き残るべく秀でた魔力を活用して幼女の身で帝国軍に入隊、功績を挙げて後方で順風満帆な生活を送ろうと活躍する(wikiより引用)。

1話「ラインの悪魔」

帝国西方、国境付近のライン戦線。帝国にとって共和国による不意の全面攻勢は、完全に想定外の事態であった。対応に追われた帝国軍は辛うじて防衛線を死守し、協商連合へと北進させていた主軍の転進を発令。戦線の再配置を急ピッチで進めるが、やはり対応の遅れは否めず、初戦における多大な損耗は免れなかった。そこで帝国軍参謀本部は、増援として航空魔導部隊を前線に投入。だが増援は新兵ばかりの寄せ集めに過ぎず、劣勢を余儀なくされていた。塹壕線には砲弾が止むことなく炸裂し、爆煙と轟音のなか、多くの兵士たちが次々と銃弾に倒れてゆく。そんな地獄のようなライン戦線には、戦場に似つかわしくない金髪碧眼の幼女、ターニャ・デグレチャフの姿があった。

2話「プロローグ」

帝国郊外の孤児院。ターニャは貧しい生活から抜け出すため、帝国軍への入隊を志願。魔導師としての適性を発揮し、士官学校へ進学する。その最後の研修として、北方のノルデン戦区上空にて、友軍による砲弾射撃の観測任務に就いていた。それは危険などない簡単な任務のはずだった。だが協商連合軍の越境侵犯を契機に帝国と協商連合が戦争状態に突入し、状況は一変。ターニャは敵魔導中隊の奇襲を受け、単独で交戦しなければならない事態に陥ってしまう。多勢に無勢で増援の到着まで持ちこたえられるわけもないが、逃げようものなら敵前逃亡で死罪は免れないという絶望的な状況のなか、ターニャは何としても生き延び、上層部に最善を尽くしたとアピールするため、とある作戦に打って出る。

3話「神がそれを望まれる」

協商連合軍との初戦闘から数週間後。戦功を称えられたターニャは、極めて優秀な魔導士官として認められ、幼いながらも帝都の戦技教導隊に配属される。切望していた安全な後方勤務を手にいれたと、内心で喜びを爆発させるターニャであったが、配属先で待っていた任務は、危険な新型演算宝珠のテスト要員であった。検証を任された試作品の性能は極めて不安定で、テストは失敗ばかり。そのうえ主任技師であるシューゲルは、開発のためなら人的犠牲も厭わないマッドサイエンティストであり、テストの中止を訴えるターニャの進言にも全く耳を貸さず、安全性など度外視した実験を強行。ターニャは遂に命の危険を感じ、技術局の本部に転属願を提出する。

4話「キャンパス・ライフ」

統一暦1924年。北方では協商連合軍と、西方では共和国軍との戦闘が継続するなか、晴れて軍大学生となったターニャは、後方の安全な帝都で大学生活を満喫していた。軍大学といえども、待遇は一般の大学と同じ。さらには国費で給与まで貰える、実に恵まれた環境だった。ターニャは持ち前の知識と効率主義で、学内の座学や実地訓練を要領良くこなし、教官や同輩から高い評価を受けていた。一方、参謀本部では、共和国軍の侵攻によって西方方面軍が崩壊寸前になった事実を重く受け止め、即応力の増強を急いでいた。大規模な軍管区再編は困難であるとの見通しが強いなか、戦務次長のゼートゥーアが新たな即応部隊の創設を提案する。

5話「はじまりの大隊」

ターニャは軍大学を優秀な成績で卒業し、ゼートゥーアが立案した即応の航空魔導大隊を任されることになった。即応部隊の大隊長ともなれば、最前線での激戦は免れない。後方の安全な勤務を望むターニャは、どうにか部隊編成を遅らせようと、様々な策を弄して志願兵を不合格にする。だが本人の意に反して、ターニャの下には次々と兵士たちが集まってくる。おまけに参謀本部からは、大隊の編成を急げとの指示。もはや逃げ道のなくなったターニャは、内心で多くの脱落者が出ることを願いながら、志願兵を再教育するとの名目で、極寒のアルペン山脈における過酷な実地訓練を開始する。その頃、帝国南方に位置するダキア大公国に、大規模動員の兆しがあった。

6話「狂気の幕開け」

帝国軍は圧倒的な軍事力と航空勢力によって、前時代的なダキア大公国軍に圧勝。ターニャ率いる第二〇三航空魔導大隊も、初戦闘で見事な戦功を挙げた。だが協商連合軍および共和国軍との戦闘は依然として継続中であり、帝国が二つの戦線を抱え込んでいることに変わりはなかった。そうした状況のなか、参謀本部作戦局のルーデルドルフは、国力の脆弱な協商連合から率先して叩くことを提案。戦務担当のゼートゥーアが兵站状況の不安から攻勢計画に難色を示すものの、ルーデルドルフはターニャの魔導大隊を北方に送り込む。一方、帝国を敵対視する周辺の列強諸国は、協商連合に対する義勇兵や武器の援助を開始。世界大戦の幕開けであった。

7話「フィヨルドの攻防」

ターニャ率いる第二〇三航空魔導大隊は北方方面軍に配属され、敵に強襲されていた物資集積所の防衛に成功。部隊は初の本格的な戦闘に戸惑いながらも、魔導師ならではの機動力で複数の爆撃機を撃墜した。さらには共和国の義勇兵や連合王国の監視拠点を壊滅させ、世界を相手にした戦いにおいて、帝国の国威を示した。そうして北方の司令部にもターニャの実力が知られるなか、現地に到着したルーデルドルフとレルゲンにより、新たな作戦が命じられた。それは協商連合との戦いにおいて決定的な一撃となるような、大胆な作戦であった。対して、帝国の動きを警戒する協商連合軍は、沿岸部のフィヨルドに魔導大隊を派遣。そこにはターニャと因縁深い、アンソンの姿があった。

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アニメを観ての感想

私は原作を読んでいないので、分からないのですが、アニメを初めて見た時の最初の感想は、幼女が戦争の指揮をとって戦う上に、見た目と違って凄くかっこ良いし、外見に惑わされている大人や、幼女の主人公より弱い大人が滑稽に見えて面白いと思いました。

2話目で主人公が前世でサラリーマンで、神により前世の記憶を残したまま幼女として生まれ変わって地位を築き上げたことが分かり、記憶を来世まで受け継いで人生をやり直したら、私も今とは違う人生を歩めているのだろうかなど考えさせられました。
(多分私はそこまで賢くないので、ターニャみたいにはなれないとは思いますが・・・)

アニメの回数を重ねるごとに、戦争について考えてしまうようになります。
主人公のターニャというよりは、周囲の大人の言動がとても気になるのです。この人たちは一体何がしたいのだろう?
戦争に勝ちたい!そういう気持ちは分かるのですが、自分たちのことだけなのだなと・・・それは当たり前のことなのは分かるのです。
やらなければ、自分がやられる。現在の社会と同じです。

最近職場で業務の打ち合わせをするたびに、目の前の席の男性社員の人が「生善説を信じたいので、僕は○○を信じたい」と口にするのです。
仕事内容的に犯罪者などの事件を目にすることが最近多いからもあるのだと思います。
私も毎日のように、殺人事件や犯罪者の記事ばかりを見ていると、世の中には悪い人しかいないのではないかと思うようになり、満員電車の中にいる殆どの人がいつそうなってもおかしくないし、既に犯罪者の人も紛れているのではと考えるようになりました。

私も正直「生善説派」なので、その男性社員の気持ちは分かります。
そう、ただ環境が生悪説に思わせるのだと・・・。

話は戻りますが、みな誰もが自分が一番正しいと思っているそうです。
ターニャも神に対してそのような言動をしておりましたし、アニメの中の神もターニャに対して自分が神こそが正しいかのように振る舞っておりました。

誰もが自分が一番正しいという思いに一呼吸を置いて、少しでも考えたとしたならば、戦争は少しでもなくなったりするのでしょうか?
相手の考えに真剣に耳を貸して、落としどころをお互いで見つけたとしたら、世界はもっと良くなるのでしょうか?

幼女戦記を見ていると、世界は弱肉強食で、弱いものは負け、強いものだけが勝ち残るのだという気持ちになります。
賢者は勝利をし、愚者は敗北する。。

社会に出ると、なんやかんやと男女平等ではなく、やはり女性の立場の弱さを感じます。
これからの女性は幼女といえども、ターニャのように強く賢くないと上手に人生を生きていけないのかもしれませんね。

今後のお話しでターニャがどうなるのか、とても気になります。
今のところ上手く人生は進んでおりますが、どこかで見えない力に何かされるのではないかなど心配になります。

最後のお話しまでターニャが元気に無事に人生を終えられることを祈ります!

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