男性は精神的に自立している女性を求めている!精神的自立との格闘と悩める日々

つまりは付き合っている相手に精神的自立をしてくれと言われ、嫌われたくないことから精神的自立をしようと現在格闘中なのです。

そこで、ネットで色々と調べてみました。

『自立』とは

自立とは、依存・受け身から脱し、主体的に自分の足で立つことです。人生を豊かにする条件は、経済的・健康的・精神的自立の三本柱です。しかし、前二者は、必要ですがこれだけでは十分な条件ではありません。経済的・健康的に恵まれても、精神の自立なしでは日常を無難に生きているというだけで、決して満たされた豊かさにはなりません。精神の自立、心の自立こそが、豊かさのための必要にして且つ十分な条件なのです。

精神の自立とは、たとえば学校や会社に埋没している自分から、本当の自分を揺り起こし取り戻すことです。長年の学校生活や会社生活の中で知らぬ間に身についている、規範(行動の手本)や価値観、行動様式(感じ方・考え方等)を、それが「本当に自分のありたいことか」「本当に求める自分らしいことか」と、問い直すことです。それは良い悪いという理由ではなく、好き嫌いという自分の身体的な感性で問い掛けることです。自分の本当にやりたいこと、自分の望む人生をイメージし、根を張り、自分にとっての意味を問い直し、主体的に日常の意味を再構成することです。それが確かな自信を生み、人生を豊かにする大きなエネルギーとなるのです。

精神の自立は、社会経験を積んだ人生の折り返しにおいて、再確認・再確立が必要になります。それは、人生の棚卸でもあります。しかし、自立が根を張るには時間がかかります。年をとるほど、人生の選択範囲やエネルギーが小さくなります。したがって、人生の早い内から自立をすることが望ましいのです。精神の自立があって初めて、経済的自立の選択や準備も、また健康に対する主体的な取り組みも可能になります。
 精神的自立の反対は、成り行きということです。成り行きは安易ですが、その先に待っている人生は、貧しく寒々としたものでしょう。

精神の自立は、言うはやすしですが困難を伴います。長年の学生・社会人としての慣性が身につきすぎているからです。依存・受け身・学校・会社という、小さな世界での価値観、慣性、行動パターン等、分かってはいても簡単には変えられないのです。学生・会社人間として優秀な、高い地位にあった人ほど、学校や会社を離れた場合困難です。世の中は広いのです、大きいのです。いろいろな価値観や感性があります。学校や会社の価値観が通るものではありません。

自立は、なかなか一人では出来るものではありません。「あなたの人生で、一番したいことは何ですか?」と聞かれて、すぐに答えられる人は極めてマレです。人は、自分がわからないのです。まず、今の自分を知る。人を知る・人との違いを知る。そして本当の自分を掘り起こし、自分に問い掛ける。これが自立の出発点です。

精神的自立の困難

自立について調べると、どうしても最終的に精神の自立にぶつかってしまう最近でした。

好きな人に自立した女性になって欲しいって感じに言われたので、一人暮らしを始めて生活的経済的自立(少々最近親に頼っているので矛盾が生じそうですが)は出来てきそうな未来が見えているのですが、精神的自立が今ひとつ自分の中で確率出来ていないような気持ちになります。

恋愛以外ではそれほど依存などはしていないように思うのですが、恋愛が関わるとどうしても依存して精神的自立のバランスが壊れてしまうように思います。

最近購入して読んだ「きれい」だと言われる女性が気をつけていることの本の中でも一人の時間を大切にする。みたいな項目がありました。

本来、恋人や友だちと行くところにも一人で行ってみるとか・・。

私は基本的に一人行動しかしないので、最近になってやっと友だちと出かける楽しさとか恋人と出かける楽しさを感じたり、そういう時間を作ることをしようとしているから、微妙に私は何か出来ているような気がするのだけれどもなぁって思うのは自分に対しての自惚れなのでしょうか。

基本的には出来ているけれども、何かパニックを起こしたら依存とか頼ってしまうのが自立していないことに繋がるのならば、そういうことから向き合いたいって今は思います。

最近は自分である程度調べて答えをまとめてから何かするということを身に着け始めて、常に一人で対話する時間が多い気がします。

でもだからなのか、友だちからのメールとか言葉に凄く感動してしまって、他者からの触れ合いというのかな。

本当に大切だなということを実感させられます。

何もしていなくて、ただ「こういうことがあって」とか「こういうのが凄く良い」とかの私の何気ない言葉で友だちの可能性が広がったことを教えてもらったりしたのが今日は凄く嬉しい出来事でした。

私の方が友だちと出逢って、会話の中で自分という人間のことを教えてもらったり、気付かせてもらったり、学ばせてもらうことが多くて、してもらうばかりっていう意識が強いのに、その中でも友だちはグッドチョイスで感じて今後に活用してくれたりしているのが凄く知り合えて良かったと思うし、お互いがお互いの存在が凄く高め合える良い関係で出逢えて良かったなって、ますます思えました。

「ゲシュタルトの祈り」

「ゲシュタルトの祈り」

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。

私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に
在るのではない。

そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に
在るのではない。

もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。

この詩が本当に精神的自立って言葉に繋がるのかもしれないなぁって思いました。

好きな人に対して思うこと

私は常に好きな人に良く思われたい、好きな人が言ったからこうするって言動が多いけれども、誰かのためではなく自分のため、自分の言動に責任を持った上で何かをする。

それを他者にも求めてはいけないっていう、これに尽きるのではないのかなと思います。

だから、「好きな人がこう言ったから」それがきっかけだったのは確かですが、でもそれを今はきっかけの一つとして、自分自身もそうなれたら良いなってところを重点にとにかく前に進みたいです。

ただ健康になりたいっていう気持ちだけの少し前のがむしゃらな私でしたが、家族や妹ちゃんに支えられて、今凄く健康になって分かったことは、肉体と精神は本当にバランスなのだということ。

どちらかが悪いとどちらかが壊れる、でもどちらかがその壊れているよりも倍以上勝っていたら補えて、それはそれでバランスは壊れないっていうことのような気がします。

私は精神面がとにかく弱いので、それ以上に健康だけでも叩いても、踏んでも蹴っても壊れないような身体になりたいって今は思って日々精進です。

健康については本当にそう思います。

健康についてを追求したら必然的に美容にも繋がったり、精神面でも、仕事面でも良いことが芋づるのように広がっている気がします。

何かを追求したら、その追求の先の可能性の拡がりは本当に無限なのだとも最近の絶好調の私は思います。

ちなみに最近は男性の気持ちを理解するための本を五冊ほど読んで、とにかく理解と自分の脳にインプットしようと励んでいます(笑)

やっぱりどうしても好きな人のことを諦められないのです。

今諦めたら絶対に未来の私も「あのとき」って後悔しそうな気もするので・・。

それに本を読み始めて気付いたことは、私たちのまんまだなっていうこと。

男性の脳みそそのままの、好きな人が少しでもこの一年歩み寄ろうと努力した結果を私は無駄にしたくないって思うので、今度は私が強引な押しつけの尽すという形ではなくて、思い遣りや理解においての言動が出来る女性になりたいっていうことから始めたいって思います。

そうなれたら仲良くなるにしても、ならないにしてもお互いの未来には良い結果が待っている気がするので、その自分の中の勘に頼って頑張りたいたいって思います。

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