縁というものに対しての私の考えや思考

雪が降っていて、出かける用事があったので外に出たら、建物の中から見るよりも綺麗な世界が広がっていました

以前お薬を飲むときに見た世界は「世界ってこんなに美しかったんだ」という気持ちで、今の私は「世界ってこんなにも醜いものが溢れているんだ」というような感じです。

苦手な空気を纏っている人たちの集団は、イニシャルGの集まりにしか見えないから気持ち悪いのは然り。

以前の私はイニシャルGとさえも仲良くとか・・・今の私にはないです・・・無理です・・・害虫は苦手です。

とてもとても仲良くしていて、友だちかなって思っていた女の子とか知り合いも携帯から削除してしまいました。

縁に対しての私の思いや考え

少しの縁でも繋がっているというのは、相手の不幸も繋がるということ。

類は友を呼ぶという意味が分かる最近の私だけに、簡単に削除です。

縁があったら、しつこいけれどもまた繋がると思いますし、何よりも、その人たちに固執しなくても、悪い縁を切ったら良い縁というものが繋がるのです。

酷い言い方のようですが、自己満足な優しさや、何気なくただ登録しているだけの履歴たちなどは残すだけ瘴気を放つ存在にしかなりません。

人との繋がりは、金やダイヤモンドではなくて、生身の生ものなので、常に更新して新しくしていかなければ瘴気を放つような気がします。

あと、利用し合ったり、メリットを求める関係性は「友だち」とは呼ばないと思います。

最近「友だち」という言葉を乱用する方々が目立つように思うので、簡単に友だちと口にする方は苦手です。

無理して繋げる悪縁などを求めるくらいならば、今の私は一人で構わないとさえ思います。

少しづつ精神的自立(我儘な自己中とも受け取る方々もいるかもしれませんが)をしているような気が致します。

誰にも依存をしない、自分の生活の中での、自分だけの幸せや楽しさを見付ける生活。

その日々の中にある、仕事、友人関係などなど、余裕があればいづれ異性との恋愛を再度しても良いかなとか。。

恋愛は精神が自立してから

異性との恋愛は、もっと自分自身が精神的自立をしてからにしたいとは正直今は思います。

そうでなければ、相手に負担や心配をかけるだけになってしまうと思いますので・・・精神的自立とは凄く通常の自立よりも大変ですが、現世で無理ならば来世に再度人間に生まれ変われたときに頑張りたいと思うくらいに長い目で今は見ています。

眠る前も、朝起きてからも、最近毎日『今日も幸せだな』って思える日々が私は好きです。

眠って嫌なことを直ぐに人に対しても忘れることが出来るようになった自分が私は好きです。

今、自分の全てが大好きで愛おしいと思います。

必要なものは与えられる法則

雪の日・・・昨年仲良くして下さっていた友だちを思い出しました。

友だちに真赤なお洋服を着せて、雪の中で写真を撮ったら美しい写真が撮れるだろうなぁって。。

可愛くて美意識が高くて、今は可愛いよりも綺麗になっているかなとか時々想像して思い出します。

連絡するねと言ったままの今ですが、連絡しないのは出来ないからかな。。

酷いことをしてしまったというのもあるけれども、また再度傷つけたくないっていう気持ちも強いから。

綺麗で優しくて頑張り屋さんな友だちが実は今でも大好きです。

また縁が会ったら、会いたいし、お出かけとか一緒にしたり美容や様々な絵画や写真家さんも含めて、お話しが出来たらなと思います。

必要なものは与えられる法則、縁が会ったらまた出逢えると思います。

こちらもオススメ⇒『男性は精神的に自立している女性を求めている!精神的自立との格闘と悩める日々

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