あらすじ
19世紀のロンドン。生まれつき奇形で醜悪な外見により「エレファント・マン」として見世物小屋に立たされていた青年、ジョン・メリック(ジョン・ハート)。肥大した頭蓋骨は額から突き出、体の至るところに腫瘍があり、歪んだ唇からは明瞭な発音はされず、歩行も杖が無ければ困難という悲惨な状態だった。
ある日彼を見世物小屋で見かけた外科医、フレデリック・トリーブス(アンソニー・ホプキンス)は興味を覚え、研究したいという理由で持ち主のバイツ(フレディ・ジョーンズ)から引き取り、病院の屋根裏部屋で彼の様子を見ることに。
はじめは白痴だと思われていたジョンだったが、やがてトリーブスはジョンが聖書を熱心に読み、芸術を愛する美しい心の持ち主だということに気付く。当初は他人に対し怯えたような素振りを見せるジョンだったが、トリーブスや舞台女優のケンドール夫人(アン・バンクロフト)と接するうちに心を開いていく(wikiより)
エレファントマンのモデル、ジョゼフ・メリックとは
ジョゼフ・ケアリー・メリック(Joseph Carey Merrick1862年8月5日 – 1890年4月11日)は、ヴィクトリア朝時代のイギリスで、今日では主にプロテウス症候群が原因と推測されている身体の極度な変形、膨張から「エレファント・マン」(The Elephant Man)として知られた人物。彼を最初に診察した医師フレデリック・トレヴェスがまとめた回想録を基に作家のバーナード・ポメランスが戯曲にした事から世に広まり映画化され、広く知られるに至った(wikiより)
映画を観た感想
初めてこの映画を観たのは中学生の頃でした。
その頃は経験値があまりにも浅くて、観たときに自分の感情さえ理解することが出来ず、最後のシーンを観たときも言葉に出来ない何かが込み上げてきました。
今改めてこの映画を観たのですが、自分が大人になったことを実感しました。
シーンが移るたびに涙が止まらなくなり、中学生当時の自分がこの映画を観たときに、ジョンを見世物として酷く熱かった人たちや、優しく接しなかった人たち、自分たちと違うからと差別的態度をとった人たちのような人間や大人にだけは決してならないようにしようと思ったこと、医者の奥様や、彼の周囲で親切にしてくれていた人たちのような人間や大人になりたいと思ったことを思い出しました。
映画を観終わった時に、今の自分が映画に出てきた人たちのどの人種に当てはまるのかを考えた時に、自分自身が当時なりたくないと思っていた人間寄りになっている気がして落胆をしました。
あの時の私の気持ちはどこで道を外したのでしょう。
「環境や境遇が人を変える」
エレファントマンと呼ばれたジョンは、かなり酷い境遇で生きてきたと思いますが、それでも綺麗な心や美しいものを愛する心を持ち続けていました。
様々な映画や現実では、酷い境遇で生きてきた人たちは、人や社会や全ての環境を憎み、心も荒むものです。
けれども自分に酷いことをする人たちを恨むような姿勢は映画だからかもしれませんが、ありませんでした。
周囲にも感謝の気持ちを常に抱いていました。
比較するのはおかしいことかもしれませんが、今の私自身は周囲への感謝の気持ちが希薄したことに気付きました。
環境が人を変えると言いながらも、自分の揺るぎない美しいものを愛する心を手放さなかったり、感謝の気持ちにしても、周囲の人たちに優しく接する心にしても、彼は強い人だなと思いました。
外見は大事だとは生きていて実感は日々感じます。
けれども、観ている時から私は人様の目に触れることを恥ずかしく思いました。
人の目に触れるものが容姿ではなく心を具現化したものだとしたならば、きっと道行く人たちの具現化したものは彼の容姿よりももっともっと醜い姿をしていると思います。
中学生の頃よりは理解出来る感情が芽生えたのにも関わらず、まだまだ消化しきれない感情が残っているので、また20年後に改めて観たら、今とは違う気持ちで観れることでしょう。
大人になる…子どもの時にはとても理解できないくらいに、全ての人と平等に接することは難しいです。
偏見の物差しで人を日々測り、簡単に確認をするこたなく、その物差しの結果で距離をとってしまう。
今からでも中学生の頃になりたいと思った大人になれるように日々精進したいと思いました。
それくらいに考えさせられ、自分を律し、改めたいと思えた作品でした。
この歳で再度観て良かったです。