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気品とは何か
最近、何か「気品」を感じる人と出会うようになりました。
しかし、「気品」「品」って、一体何だろう??
気品があるなって感じるんだから、何となくは分かってるはずなのですが。。
所謂「お上品」とは違うような気がします。
人間の品格みたいなものでしょうか?改めて、じっくりと考えてみました。
そして自分なりにいつでも品について読み返せるように、ネットや色んなところで感銘なり、忘れたくないと思った言葉たちをまとめてみました。
改めて読んで今の自分を見直すと、気品や品とは遠い気がして恥ずかしい限りです。
自分自身が、このまとめを読んで品のある女性を目指したいです!!
「品がある人」の共通点は?
・落ち着いている
・動きが美しい
・穏やかな笑顔
・ギスギスしていない
つまり、「優雅さ」があるらしい。
「品がない人」の共通点は?
・卑しい
・さもしい
・厭らしい
・意地汚い
・ガツガツしている
・ガサツ
確かに・・・。
「餓鬼」という言葉は、ガキの語源であるが、本来は仏教用語で、地獄とはこの状態。
飢えた鬼。足りるを知らない状態。
何もかも持っているのに、もっともっともっと欲しい。
自分だけに、くれくれもっとくれ。
お金も食べ物も機会も時間も、足りない足りない足りない!!!あの人ばかり持っていてズルイ。
まだ足りない足りない足りない足りない・・・
品がないとはこういうことだそうだ。
「気品」を感じさせる人
気品を感じる人は、満ち足りていて、お金がなくても、問題にしていない。
誰かに手を差し伸べる余裕がある。表情にも動きにも、ゆとりがある。
他人の評価を気にせず、自分の物差しで生きている。
誰しも、心の中に「餓鬼」を持っている。
だけれど、ほんの少し、視点を変えてみることは出来るはず。自分が「餓鬼」に捉われている時、周りも全部そう見える。
気品を感じる人が見えてきたのは、良い兆候かも知れない。
気品と美しさを身につける30の方法
1.本当のかっこよさは、品のあるオーラから生まれる。
2.顔をきれいにする前に、部屋をきれいにする。
3.人目のないときでも、整理整頓、できていますか。
4.品というオーラの根源は「きれいにしたい」という気持ち。
5.足元からも、オーラが出る。
6.着信メロディーは、迷惑の元。
7.品性とは「余裕」のことである。
8.ごみ箱は、心の中の表れ。
9.経験数が増えることで、品性がアップする。
10.緊張することで、品性が養われる。
11.ささいなことほど、ていねいに扱う。
12.ため息をつかない。
13.電話をかける側が、腰を低くすることが品のあるマナー。
14.「落ち着き」は、大人びた印象をかもしだす。
15.普通こそが、1番。
16.ガハハと笑うと、品が下がる。ニッコリ笑うと、品が上がる。
17.拾わない、もらわない。
18.明日の準備をしてから、帰る。
19.いらない物は、徹底的に捨てる。
20.余裕のある生活を送ろう。
21.毎日使う日用品は、精神状態に大きくかかわりをもつパートナー。
22.「まあいいか」と思うところほど、まめに行動する。
23.個性を表現し、さらに引き出していくために、ファッションがある。
24.知識は、気品があってこそ、引きたつ。
25.お金がなくても楽しめるセンスのことを「品」という。
26.五感を通して感じることを、感動という。
27.愛を感じるために、愛を削っていませんか。
28.部屋の物が少ないほど、生活に品が出る。
29.品性のある人は、背中にも目がついている。
30.むかっとしたできごとを反面教師にできる人が、立派になる。
「気品」のある人間になるためには、テーマと目標を持ってまずは生きよう!
しぐさは優雅、表情は穏やか、人との接し方は気高く謙虚。
気品の定義を、表面からのみ捉えていると、気品ある人の内側で起こっていることが理解できない。
穏やかで美しい海の下では、常に、それを保つための努力が続けられてる。自分を律し、無理をして、気品をつくろっているという意味ではない。
常に、目標に向かって努力しているということ。ただボーッとのんびりと1日1日をやり過ごしているのではなく、生活に、人生に、目標、テーマを持っているということ。
そうした人生に対する真摯な姿勢が、人の気品を育みます。あなたは、いま生活の中で、テーマを持って取り組んでいることがありますか?
あなたがこの人生で実現したいことは何ですか?そのため・何をしていますか?
いつでもどんなときでも、目標を見失わないこと。もし、あなたが気品ある女性になりたいと思うのなら、自分なりのテーマを見つけて、それを生活の中で実現していこうと決めるべき。どんなに小さなことでも良い。
目標と情熱がある限り、肉体も頭脳も発達し続ける。
自分の中の情熱をどれだけ燃やし続けられるか、これからのあなたの人生は、そこにかかっている。
恵まれた環境のもとで、よい人々に囲まれ、精神的にゆとりの持てる状態にいれば、誰でも、それなりに気品を持っていられるものだけれども、問題は、人がその環境ではなくなってしまったとき、どん底に落ちてしまったとき。
そこでもし、昔はよかったといまの境遇を嘆き、憎み始めるとしたら。
たとえ、その人がどんなに高貴な生まれの人であったとしても、その人の気品が本物ではなかったことが露呈する。ほんとうに気品のある人なら、どんな境遇の変化にも平静に対処し、どんなに落ちぶれ、すべてを失ったとしても、気品だけは失うことなく、気高くいられるはずだから。
ほんとうに自分の身についているものは、境遇がいかに変わろうと、消えることはない。
財力や権力、『美貌は、いずれ消えてしまうものです。唯一、消えることがないのが気品というもの。
不幸せになってしまったとき
誰もが幸せでありたいと願うもの。
ところが、普通、人は、幸せというのを他人との比較の中で認知するものだから、人の幸せを自分のことのように喜べるのは、いわば悟りの境地。
つまり、誰もが自分より幸せな人には多かれ少なかれ、やっかみの気持ちを持ってしまう。
ということはつまり、不幸せでいるということには、人からねたまれない気楽さという素晴らしい幸福があるということ。
幸せな自分になろうという夢を捨て、不幸せを当然のこととしてしまいましょう。
そもそも幸せとは、いまある幸せに感謝するものであって、「幸せになる」という類のものではない。
誰かと比較して、誰か以上に幸せになろうと思わなければ、自分が不幸だと感じることもない。
気品ある人に、幸せ願望は無縁。気品を持てば、幸せ願望は不要。
誰かに裏切られたと感じるときもまた、人の気品が試されるとき。
味方だと思っている人が、必ず自分を守ってくれると期待するのは間違い。
人それぞれの都合というものがあり・守ってくれなかった人を非難すべきではない。
もし・守ってくれる人があったのなら、その人には、それなりの理由があったこと、あなたにはその人から背負うものが発生したことを忘れてはいけない。
つまり、今度はあなたが守ってあげる番だということ。
人は・基本的には自分で自分を守って生きていくものだという覚悟を持ったうえで、守ってくれる人があれば、最大限の感謝の気持ちを持ち続ける、それが凛とした気高さ。
非常事態が発生したとき
人の真価、あるいは本音が表れるのは、日常ではなく、非常時の時です。
気品もまた、その「本音」と一体化しているもの。
普段相手を立て、慎ましやかに振る舞っていたとしても、なにか非常事態が起こったとき・とたんに人に責任をなすりつけ保身に走ったり、自分だけ逃げだそうとしたり、動揺して冷静な判断力を失ったりするのであれば、それまでの「気高そうな」振る舞いはすべて見せか、けであり、ただ誰からも悪く思われたくないばかりの保身なせる演技にすぎなかったことが暴露される。
最大のピンチに見舞われたとき、たとえ汚名を着ることになったとしても、自分以外の人の幸せと未来への判断を誤らないでいられるとしたら、たとえふだんの振る舞いがどれほど粗忽であったとしても、その人が気品ある人であったことが明らかになる。
思い通りにならないとき
物事が思い通りに運ばないとき、自分の失敗からトラブルを招いたり、巻き込まれてしまったとき、失敗をしてしまったとき、気品に欠ける人の反応は、たいてい決まっている。
自分がそういう結果を引き起こしたとき立場ではなく、そういう状況が起こったという言い方をする。
人にそう言って、責任をとろうとしないだけでなく、本人にも自覚がないのが特徴。
常に欲求不満を抱え、気品と正反対の顔つきになっていくわけです。
コンプレックスが強く、かつそれを押し隠している人にこの傾向が強く見られる。
コンプレックスが強すぎて、失敗を受け入れられない。
もし受け入れてしまったら、自分がなくなってしまうと思っている。
気品とは、自分の失敗をもきちんと受け入れられる強さでもある。
では、物事が思い通りに運べば、誰でも気品を持って振る舞えるかというと、そうでもない。
コンプレックスの強い人ほど、成功して人の賞賛を受けると、舞い上がってしまう。
自分は何も変わっていないのに、特別意識がめきめき芽生え、それまでの唯一の取り柄であった謙虚さも失われる。
その行く手に待っているのは、おそらく評価の低下、そして、自滅でしょう。
問題は、自分に対する評価を他人に頼っていること。
コンプレックスは、他人からの評価ではなく、自分で自分に下している評価が低いところから生まれる。
それを外からの評価で補おうとするから辛くなる。
必要なのは、外からの評価がなんであれ、自分で自分の価値を認めてやること。
それによって、人からの評価にも謙虚に対処できる。
そして、憧れの堂々とし魔風格をともなう気品を漂わせることができるようになる。
もてはやされる今風の自分ではないからこそ!
現代は、知性よりも感性、個性がもてはやされる時代で、謙虚さよりも野心がもてはやされる時代だと思います。
そんな中で、個性もない、人と際だって違う才能もない、センスもない、何をしたらいいかもわからない人はどうしたらいいのだろう?
実は、そうした、人こそ、気品」を持ち備える最短の場所にいる。あまりにも個性的であったり、何になりたい、こうしたいという野望が強烈にある人は、それはそれで素晴らしいし、魅力的であったりもする。ただ、気品」とは正反対のあり方である場合が、多い気がします。
もしあなたが、そうはなれない、いつかはそうした人のようにもてはやされる自分になりたいけれども、そのために野心を燃やすこともできないのであれば、どうして世の中の風潮に合わせて、ありもしない自分を押し出そうとする必要があるのか?
自分に望むものがなければ、他人のために役に立つあり方を望めば良いのではないか。
まわりを見わたせば、あなたの力を必要としている人が沢山いる。
いただし、人の役に立つことを通じて、もてはやされる自分を実現しようという野心を隠し持ってはいけない。
つまりは、目の前にいる人の不幸は無視して、ボランティア活動や福祉活動、市民活動などに急激にのめり込んだりすること。
身近な人に対する自分勝手な思いこみやお節介となって表れる人もいる。
いずれも、自分を自分以上に見せなければいけないと思っているから。
自分をもっともらしく見せることだけを考えているから。
虚像はいつかは、実像に押し潰されてしまう。
人の役に立つとは、他人に頼まれたこと、指示を受けたこと、約束したことを、正確に行うということである。自分を無にして、心を込めて行うということ。
他人に対して、的確な言葉、行為を返すことができるということ。
その積み重ねが、いつのまにか他人のために役・立つ、気高いあなたを創り出す。
つまり、「最高の気品」を育む。
誰からも尊重されないから
いつも人の裏に隠れている、自信がないから人の後についていく、大した考えでもないのに声だけ大きい人に巻き込まれていく……もし、あなたがそういうタイプであるとしたら、あなたに必要なのは、押し出しの強さではなく、信念です。自分の信念に対する誇りです。
人に利用されやすいから
もしあなたが、優しくてお人好しであるという理由で、人に侮られてしまっているとしたら、あなたに必要なのは、そのやさしさ、人のよさをあらためて、自己主張の強い人を見習うことではなく、自信を持って・そのやさしさ、人のよさにさらに磨きをかけることです。
お人好しのために愚かだと思われてしまう人と、スケールの小さなお利口さんのどちらが先に、気品ある自分を得ることができるかといえばお人好しのあなたです。
お人好しのスケールを大きくし、さらに洗練すれば、人はあなたから気品を感じます。
お人好しにしていては損をするなどと思うのではなく、人が好いということは人間の質が高いことだという信念を持ってください。その瞬間から、気品があなたに漂い始めます。やさしさも同様です。やさしい人は、ひ弱に見えることがありますが、本当は強い人です。
やさしさというのは、性格の問題ではなく、知性の問題です。
人が誰かの助けを必要としているときに、自分の思惑や都合、人から見られている自分などに気を回してやさしく振る舞うのは、知性ではなく、スケールの小さなお利口さんです。
小さなお利口さんのやさしさは、ちっとも尊敬されずにただ利用されるだけ。
だから、その結果、やさしくしていては損をする、という気持ちにもなるのでしょう。
でも、なんの思惑もなく心からやさしさを発揮できるのが、知性的なやさしさであり、どんなにやさしくても、知性豊かであれば、侮られることはありません。
人はそのやさしさにも「気品」を感じてしまうからです。
信じられるもの、すがるものが何もないから
ほとんどの人が、さまざまなものにすがって生きています。
ある人はお金であり、ある人は学歴であり、ある人は素晴らしい美貌であり、ある人は地位であり、ある人は信仰であり、ある人は有力者の父親であり、ある人はセンスのよさであり、ある人は歌のうまさであり、ある人は人を引きつける話術であり……プライドとかこだわりとかアイデンティティとも呼ばれます。
けれども、もし、あなたが人に誇れるほどのものを何ひとつ持っていないとしたら、あなたは、気品への最短のところにいます。
気品とは、こだわり、思いこみ、さまざまな装飾物、都合、それらがすべてそぎ落とされても、というより、それらがそぎ落とされたところに存在するものだからです。
何かを持っていると、それを守ろうとします。中途半端な思いこみがあると、それに固執します。
それらを守るために、自分の都合を優先させることになります。
自分の都合を守ろうとすれば、人を傷つけるだけでなく、物事を見誤る恐れがあります。
気品を持っているということは、自分の都合を守る必要がないということです。
財産のあることだけで支えられている行為の本音は、富に頓着のない本音に勝ることはできません。
気品のない財産の輝きと、財産のない気品の輝きでは、気品が勝るということは、誰でも知っているはずです。
いま、何もないと思っている人、信じられるものがほしいと思っている人は、そのほしいものすべてを試しに否定してみるとよいでしょう。
たとえば、自分はお金持ちになりたいとは思わない、自分だけが幸せになりたいとは思わない、自分は有名になる必要はない、したいと思っていることなどできなくて当たり前……。そして、その代わりに?何も出てこないとしたら、消極的すぎます。
たとえば、こんなものはどうですか?いつでも感謝の気持ちを持てる人になりたい、自分の我を捨てて人の役に立てる人になりたい、自分の都合を捨てて相手を尊重する人になりたい……。
不確かな消えてしまうものを守ろうとするより、積極的に強い自分を見つけようとしようではありませんか。あなたの中の気品を目覚めさせ、磨き上げることこそが、何にもましてあなたを守ってくれるのでしょう。
「気品」とは”生まれ”でなく “育ち”ですよね?
「気品」とは”生まれ”でなく “育ち”ですよね?
よく、昔むかしの物語で、
さる王国の王子/王女(あるいは、富豪の令息/令嬢)が、ワケありで捨てられ、庶民のもとで育ったけれども、その気品は、他の者たちとは全然違っていた、
みたいなのがありましたけど、そんなのありえませんよね?たとえ高貴なプリンセスの生まれでも、例えば下ネタジョーク満載の、超お下劣な環境で育てば、そういう”お下劣ガール”になるように思いますが。
・気品とは、やはりそれなりの教育・教養を身につけてこそ、後天的に出来上がるものだと思いますが、いかがでしょう?
・それと、そもそも、性格って遺伝するものなのですか?
ベストアンサーに選ばれた回答
私も、「気品」は「育ち」から生まれるものだと思います。生まれたときから、気品のある赤ちゃんなんていません。成長するときの、まわりの環境によって左右されると思います。
気品というのも性格の1つだと言えると思います。性格も遺伝ではなく環境に左右され、だから、いつも傍にいる親の性格に似てくるのも当然なんだと思います。