「大切な物は自分の手で全て処分したい」全てのオタクにも当てはまって辛いと話題!

オタク・・・何故オタクという人種は自分の好きなものを集めてしまうのか・・・。

twitterでビーロボカブトさん@kabuto_w)が漫画『東島丹三郎は仮面ライダーになりたい』を読んで全てのオタクにも当てはまるのではないかという感想とともにツイート内容が話題になっております。

漫画『東島丹三郎は仮面ライダーになりたい』とはどんな作品なのか

漫画『東島丹三郎は仮面ライダーになりたい』という作品は、現在 月刊ヒーローズという雑誌で連載されている柴田ヨクサル先生の作品で、内容は小さい頃から仮面ライダーに憧れている男性が40歳になっても仮面ライダーになる夢を諦めずに追い求める話だそうです。

小さい頃から本気で
“仮面ライダー”になりたかった東島丹三郎(とうじま たんざぶろう)は、40歳になった今でもその夢を追い続けていた。

そんなある日、「ショッカー現る!」というニュースが報道される。

それはショッカー戦闘員のような覆面を被った、ただのチンピラによるコンビニ強盗事件。
マスコミが面白がって「ショッカー」と呼称しただけの偽物だと理解していても、東島の正義の心は燃えていた。

「俺のは“仮面ライダーごっこ”じゃないから」

こうして東島は“仮面ライダー”のお面を顔にまとい、偽物のショッカー事件を解決すべく戦う決意をする――。

『エアマスター』『ハチワンダイバー』の柴田ヨクサルが満を持して描く、誰も読んだことがない新感覚“仮面ライダー”コミック参上!!

(引用元:https://www.heros-web.com/works/tojima/)

大人のオタクには辛い内容?


(引用元:ビーロボカブトさん@kabuto_w)ツイート)

ちなみにこの全て処分した仮面ライダーグッズたちは購入時は100万以上もつぎ込んだが、売った総額は24万ほどだったそうだ。

正直これを読んだ時に、自分自身と重ねて読んでしまった。

この漫画の主人公の男性は40歳の独身ということだが、年齢も性別も既婚だろうが独身だろうがオタクという人種は必ず考えなければいけない問題なのではないかなとは思った。

というのも私自身もオタクの類で、しかも収集癖はオタクに限らず広範囲に渡る。

アニメ、ゲーム、小説本、映画、ロリータ服、着物・・・もはや家の中は私の物に溢れまくっているのである。

よくネットで男性が仕事に行っている間に、妻に大事にしていたフィギュアを捨てられた話などを目にするが、我が家では確実にその餌食になるであろう人物は夫ではなく私自身だと言っても過言ではない。

しかし幸運なことに夫は寛大な人で、私にオタク部屋を一つ与えてくれて、その部屋を自由に使って良いとまで言ってくれた。

当然ながら一部屋でその収集癖の全てが収まるハズもなく、別の部屋の一室も最終的には私の物を置く部屋になってしまった。

ここまで聞いたら、とても幸せな家庭のお話しなのだが、ある日ふと気付くと夫の荷物がクローゼット一つだけにしかないことに気付いたのである。

ちなみに私の荷物は二部屋分・・・。

先日義両親宅へ行った時に、遺品整理で一番残されて困るのは「写真」だと言っており、故人にとって残してある写真がどれほど大事なのか分からない故に安易に捨てずらいと言っていた。

故人が大事にしていた物は捨てずらい・・・つまりだ!

私の大事にしている物たちは二部屋分、つまり私が不慮の事故などで死んだ場合、残された夫は二部屋分もの私が大事にしている物たちを見て途方にくれるということなのだ!!

想像をすると、あまりにもそれは酷な気がした。

作品内の男性は、自分の大事にしている物が自分の死後に無造作にゴミ袋に入れられるのが耐え切れないと言ってはいるが、自分が大事にしていた物を、自分の愛する人の手で処分させるというのもそれもまた酷な話である。

しかも、何気に収集癖というのは私のように広範囲に手を伸ばすと、ゲームなども全てプレイする暇もないので買って満足でいつかプレイをしようと限定版だけを大量に段ボールに大事にしまっているパターンもあるのだ。

物を人間に例えた場合、拾ってきてもご飯や面倒を見ずに放置しているのと同じ状態ともいえる。

それならば、本当に欲しいと思っている人に譲った方がまだ物たちも大事にしてもらえるし、私亡き後も夫が困ることはないと、少し前から私も少しずつグッズや収集していたものを手放し始めたのだ。

実際に手放した感想を言うと、レア物などはやはり美品で探している人もおり、感謝されるケースもあったが、殆どが購入した金額の半分以下にしかならなかった。

「いつか」

この言葉で未開封だったり、一度しか目を通していない本や映画や漫画や、試着でしか袖を通していない服などもあったが、この「いつか」というのは基本いつまでもくることはない気がした。

そして、それ程大事にしていたと思っていたのは自分だけで、その物たちには「本来の目的としては必要とされなかった」嬉しくもなんともないものだったのだろうなとも実感した。

そして実際に少しずつだが、お金に変えていくと、自分がこれほど大事にしているものの価値が世の中ではこれ程度なのかとも実感して、なんとも切ない気持ちになった。

話は少し逸れたが、この作品の男性のようにやはり大事な物は自分の手で処分をするのが一番良い気はする。

まだ私の場合は量が量なので全て処分はできていないが、死ぬまでには全て綺麗に処分できるように頑張りたいと思う。

<<引用元>>

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