映画『かぐや姫の物語』を観た感想 ※ネタバレ含む

目次

解説

キャッチコピーは「姫の犯した罪と罰」

高畑勲監督は本作公開から4年半後の2018年4月5日に死去し、本作が最後の監督作品となった。

日本のアニメ映画としては破格ともいえる、企画開始から8年の歳月と50億円を超える製作費が投じられた。アニメーターの描いた線を生かした手書き風のスタイルが本作でも使用された。加えて、背景も動画に近いタッチで描かれ、両者が一体となり「一枚絵が動く」ような画面をもたらしている(wikiより)

あらすじ

今は昔、竹取の翁が見つけた光り輝く竹の中からかわいらしい女の子が現れ、翁は媼と共に大切に育てることに。女の子は瞬く間に美しい娘に成長しかぐや姫と名付けられ、うわさを聞き付けた男たちが求婚してくるようになる。彼らに無理難題を突き付け次々と振ったかぐや姫は、やがて月を見ては物思いにふけるようになり……。(ネットより拝借)

「かぐや姫の物語」を見た感想

私の心は最近ロリコンニュース閲覧により汚れているので、捨丸兄ちゃんが最初からダメだった。。

幼い頃のかぐや姫(タケノコ)に対して、やたらと足の付近に手があるのが気になって気になって、そのまま着物の裾から手でも入れるんじゃないかとさえ思って見てしまった。

そのあとの肩車も、この頃の女性はノーパンだということを考慮するとあえてそれが自分に触れるように肩車をしているとさえ思えてくる。

崖からかぐや姫が落ちる時も、危ないと助けたけれどもくっつきたかっただけじゃないのーとか…とにかく嫌らしい!

畑にあるウリか何かを喉が渇いた~と言いながら我慢している子どもたちの中、止めるのも聞かずに盗みに行くかぐや姫。

それを捨丸兄ちゃんは止めに入りながら、どさくさに紛れてもう1つ余分に盗んで袂に入れた後に、人の姿が見えてかぐや姫の手を取り逃げた後もやっぱり気持ち悪い。

人の姿がいなくなるまでの密着。。

とにかく、かぐや姫が都に行くまでの間の少しでも触れようと必死になってるようにしか思えない様子が気持ち悪くて既にもうお手つきにさえ思えた。

そしてそれに対して無邪気なかぐや姫は気付かないで、捨丸兄ちゃんを慕うのも餌付けだったりスキンシップだったり、優しくしたりで既に手懐けられてるじゃん!

実際最後に「捨丸兄ちゃんとだったら幸せになれた」みたいな言葉をかぐや姫は口にするが、ないわー。

だって捨丸兄ちゃん妻子いるからね。。

ネットの人の声によると、そういう常識さえも失ってしまうほど、目にしたら誰もが手に入れたくなるほどの存在がかぐや姫とのことなのだが。。

実際に、都を一度離れて山に行った時に捨丸兄ちゃんと再び会えて、かぐや姫が想いを告げた時に捨丸兄ちゃんはかぐや姫をカケオチしようとするのだけれども、これは最終的には夢オチで終わる・・・そういうのも含めて、かぐや姫は夢のように美しい、夢のような存在のような描かれ方でもあるらしい。

言いたいことは分かるのだけれども、原作に沿った「かぐや姫」のお話は凄く大好きなのだけれども、この「かぐや姫の物語」のかぐや姫は最初から最後まで好きになれなかった。

女性が必死に社会に抵抗して生きる姿などを描いた作品でもあるとのことで、実際確かにシンデレラストーリーなのは間違いないのだけれども、あまりにも関わる人たちを不幸せにし過ぎだろ~と言いたい。

かぐや姫が生きがいや幸せの定義に気付いても、時代などがそうさせてくれないという話でもあるみたいなのだけれども・・・だけどかぐや姫、月からきた人間で自分でも自覚しているのに???いつから自覚があったのかはちゃんと見ていたけれども分からなかった、この作品内では。

あまりにも周囲を不幸にしたり、人間の気持ちをもて遊ぶような試すような行為をし過ぎた故に、天界の人からお迎えがきたのもあるのだが…無邪気…子どもの無邪気さは残酷とあるが、本当にそんな感じだった。

実際確かに原作のかぐや姫も自分を諦めてもらうために無理難題を押し付けていたので、小悪魔的とか悪女のイメージにはなるけれども、私個人としては賢人という印象だったのだけれども、「かぐや姫の物語」のかぐや姫は賢人ながら無邪気な無知の面があるから、言い方が悪いが精神病にかかっている人などの不安定さを感じて見ていてかなり辛かった。

とにかく可愛いよりも何よりも無邪気な子どもの面と賢人な大人の面の顔があり、どちらもかぐや姫なのだけれども、どちらも見ていて私個人としては魅力的に思えなくて…かぐや姫自身が考えているようで考えておらず、本能で生きてるだけだからこそなのかな?年齢を考慮したら当たり前といえば当たり前なのかな?

だけどあくまでもかぐや姫は月の人間で、この世の人間ではないからなぁ。。

現代人が平安時代にタイムスリップしたらこんな感じのような感覚で見れば良かったのだろうか。。

どんなに外見が美しくても、これが中身は嫌だなという目でしかずっと見なかった。

そういう面では捨丸兄ちゃんにかぐや姫が「私、捨丸兄ちゃんとだったら幸せになれたかも」みたいに言った後に「汚い服を着たりできるのか?」みたいに言っていて、かぐや姫はできるように発言していたけれども、なんやかんや自由になりたい、生きたいと言いつつも、絶対に1人では生きていけない誰かに迷惑をかけていることにさえ気付かないタイプのようにも思えた。

かぐや姫自身は捨丸兄ちゃんが良いかもしれないが、実際に暮らしてみたら多分兄ちゃんしんどくて逃げ出す気がする。。

自分の好きになる相手と、実際に自分が不便なく暮らせる相手を見誤るタイプの典型というか…現代ならば捨丸兄ちゃんに最終的に金づるとして利用されて、妻子とかぐや姫の二股ルートに突入しそう。

この作品は帝の顎でも有名で、何故あんなに顎が長いのかについては、一箇所以外は全て完璧な人間みたいなのを描いてるらしい。


※ネットより拝借

けれども、帝は顔だけれはなく、言動も気持ち悪かった。。

嫌がるかぐや姫を面白いと思って追いかけたり、この世にストーカーなどが減らない理由などもこの作品を見ていると理解できる。

綺麗で美しい女性の大変さというか、なんというか。

人によってはかなり泣ける作品とのことなのだが、私個人としてはとりあえず最後まで観たが、2回観たいと思わない作品で、おばあさんと小さい下女の女の子以外の殆どの登場人物が受け付けない作品だった。

映像や絵柄や音楽などはとても良くて、特に天界人がかぐや姫を迎えに来るシーンで流れる楽しい雰囲気の音楽はかなり映像も含めて必見だと思う!

最終的にはそういう見方しか出来なかった自分自身の穢れた心をとても残念に思った。

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