【話題】 子どもの虐待死について思うこと

子どもが虐待されたニュースを見て思うことは、私がされていたことは虐待だったんだなということだ。

私のようにニュースで取り上げられているのを見て、自分が虐待をされていたということに気付く人は多いのではないだろうか?

幼少期の思い出

親からは「しつけ」「あなたが言うことを聞かないから」と言われていたこともあり、自分が悪い子だからそのような目に遭うのだと思った。

少しでも親の機嫌を損ねたら食事は勿論与えてもらえなくなるし、雪が降る夜でも子どもが邪魔になれば薄着の裸足のまま外に出す。

私には姉がいて、最初は姉も一緒だった。

2人だったから辛くはなく、ご飯を与えられなくても我慢できたし、外に出されても2人でそのまま外に遊びに出かけたのが姉が5歳で私が3歳の時。

2人で家の玄関から離れて外に出歩くと、母親は自分の都合で家に入れようと思ったら、私たちがいなかったことに激怒をして次からはベランダの外に出した。

寒くて泣きじゃくる私に姉は夜景が綺麗だと言い、それを眺めて家に入れてくれるのを2人で待った。

トイレに行きたいと母に言っても無視をされるので、ベランダでしてしまい、怒られ叩かれ掃除ももちろんさせられた。

ベランダでの様子を近所の人に聞かれた母親は、裏にある別の小さなベランダに何かあると外に出すようになった。

そこからの夜景もとても綺麗で姉も一緒にいたので、家に入れてもらえるまで眺めていた。

それでも寒さは子どもの身体には厳しくて、私の足は常に霜焼けで冷たくなっていたし、常に紫色をしていた。

外に出されても泣き叫ばなくなった私たちを見て、母は外に出す際に「最近ベランダにゲジゲジや毒虫がいるのを見たから、気をつけなさいね」などの言葉を言って外に出すようになった。

当然私は怖くて号泣したが、裏の小さなベランダには物置があり、姉がその上に登ったら少しは安全だろうと2人でよじ登ってその場をしのいだ。

年齢もあったのか途中から姉は学習をして怒られることを一切しなくなり、母から怒られなくなった。

何かあるたびに怒られてご飯を与えられなくなるのも、外に出さられるのも、殴られるのも私だけになった。

ご飯を与えられない時は姉がこっそり自分の分を残して隠したのを私に与えてくれ、外に出された時も私の存在を忘れる時が母はあったので姉がこっそり母がお風呂に入っている時などに家の中に入れてくれた。

しかし、ご飯はバレなくても外にいるはずの私が家の中にいることに気付いた母は私を再度叩き、私が姉をそそのかして無理に中に入れるように言ったんだと言った。

姉も私も違うと否定したが、母は、姉は優しいから私を庇っているだけで私がやらせたと言って聞かなかった。

母の子育て理論に、子どもは動物と同じだから殴ったりしないと理解できないという法則があった。

ちなみに父親は仕事人間で殆ど家にいなかった。

これが私が3〜5歳の頃の記憶だ。

虐待をする大人は自分の言動が虐待だと思っていない

そんな年齢でもそれだけのことを考えられて、これほど大人になっても消えない記憶として残る。

姉は小学校に入る前だったが、常に私が怖がらないように、傷付けられないようにと守ろうとしてくれていた。

母はよく私に、姉が一人では寂しいと思って私を作ったとのことだったので、私は姉のためにしか存在していなかった。

ニュースに出ている虐待死は、死んで始めて表に出る。

私は運良く死ななかったので表には出なかっただけの話で、こんなのは氷山の一角でしかないと思う。

この話で私が怖いと思うのは、このようなニュースを見て心を痛めてる人もしている可能性があるという点だ。

母は大人になってから一緒にテレビを見ていて、このようなニュースを目にすると「なんて可哀想なことをするんだ」「よくこんな酷いことができる」と言葉をもらしていた。

それを目にして私は、全く同じことを自分もしていたのに他人事なのかと思った。

加害者には罪の意識も虐待をしているということも理解できていないのが現実だ。

社会に出ても、イジメやパワハラを酷いと言いながら、言った本人がイジメやパワハラをしていることなどよくある話だ。

虐待されても親から愛されたいと願う子ども

私の母は、自分の機嫌さえ損なわなければ、ご飯も与えてるし不自由なく育ててるつもりだから虐待にはならないと思うのだろう。

常に他の家が自分の家よりも悲惨だと思う点を食卓では口にしていて、姉や私がいかにこの家に生まれてきて良かったのかを聞かされた。

私は他の家はうちよりも、もっと悲惨なんだと思ってこの家に生まれて良かったと思い込まされた。

そして、これが愛情なのだと思わされた。

母に叩かれたり怒鳴られたりしながら、私はいつも母に愛されたいと思っていた。

しつけと虐待の定義を私は今も分からないでいる。

社会に出たら注意とパワハラの違いが分からないことのように。

「話を聞かない、言うことを聞かないから叩くしかない」

よく周囲で耳にする言葉だが、自分の経験上3歳くらいからは相手の言ってる意味が理解できているし、分からないことに関しては質問もしていた。

しかし、その質問さえも自分が答えられないと「うるさい」「屁理屈を言うな」「可愛げがない」と叩かれた。

外からでは分からない、虐待の実態

そんな私の父親は一流企業に勤めていて、住まいは社宅で、母親は外では良妻賢母で通っていて誰からも好かれて慕われていた。

虐待の実態は外からは決して分からないのだ。

母の言うことを聞かないという理由で、休みの日に父に床に思いっきり叩きつけられて身体はバウンドして内臓を痛めたせいか息ができなくて過呼吸になったのを今でも覚えている。

父は床に叩きつけた後、面倒くさい役回りをさせられたことに怒って立ち去り、母に苦しくて助けを求めようと見上げた時、母は冷たい目で倒れている私を見下ろして何も言わずに立ち去った。

息ができなくて、ただただ苦しい中、子どもだったこともありパニックになってもがいていたら、姉が抱き起こして背中をさすったりして看病をしてくれた。

当然病院などには連れて行かれなかった。

父の仕事の都合で転勤を何度もしていたこと、社宅に住んでいたことで母親も心労があったのだろう。

何度目かの転勤の時に自分の人生の不幸は全て私のせいだから、私がいけなければ自分は幸せになれるんだと毎日のように聞かされた。

小学校に入ってからは毎日自殺を考えて、ベランダの下を眺めていた。

私が死んだら母が幸せになれるんだと信じて。

だけど私には勇気がなかった。

自分が虐待されていると気付いたら、まずはそこから逃げることを考えよう

父親が高給取りだったら幸せなわけでもなく、転勤が決まったら家族みんなで引っ越さなければいけないわけでもない。

結婚して考えは変わってきたが、結婚するまでも私は自殺未遂の常習で隙あらば死にたいと思っていたし、産んで欲しくなかったと思っていた。

結婚をして自然妊娠は叶わず不妊治療も予算が限られた中でしたが、子どもを欲しい欲しいと願う反面、常に子どもは生まれることを望んでいるかも考えた。

子どもを欲しいと願うのは正しいことなのか?

自分のエゴでしかないのではないか。

生んで欲しくなかった、生まれたことを後悔していると私のように思われたら。。

虐待された子どもが仮に死なないで生きられたとして、幸せになるチャンスはいくらでもあると考える人はいるかもしれないが、植え付けられた思考は簡単には戻らないし、人間は基本的には弱い人の方が多い。

私は今毎日幸せだが、そう思う反面、虐待された時に殺して欲しかったと今でも思っている自分と何度も遭遇する・・・生きていれば幸せとはいうが・・・私には正直まだ理解できてはいない気がする。

社会に出て働いている時によく人から「○○さんは親御さんから愛されて育ったでしょう」「○○さんは親御さんから叩かれたことがないでしょう」などと言われるが、答えは全てNOで全く外れている。

虐待されて育った子どもからすれば、この言葉のなんと残酷なことか・・・。

自分が愛されて育ったから、自分がそうだから「親は子どもに対して常に愛を抱いている」と思う人間は世の中には多いが、勘違いも甚だしい。

親も子どもも人間同士なのだ。

血が繋がっていても「合わない」ということは起こるということを大人になってから実感した。

親子なのだから~は通用しない、どちらかが我慢をするだけなのだ。

同じように虐待されて育った人がいたら、親からの愛情は全て諦めて、離れることこそがお互いが幸せになれると信じて強く一人で生きて行って欲しいとは思う。

こちらもオススメ⇒『漫画「子供を殺してくださいという親たち」を読んだ感想

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする