昔『HERO』というドラマが放送されていて、その中のあるお話しの中で、桜井幸子さん演じる女性が言ったのです。
『一番哀れな女は忘れられる女です』
と・・・子どもながら衝撃を受けました!この言葉は常に恋愛をしている私の脳みそにこびりついて離れませんでした。
「誰よりも忘れられない人間になりたい!」そう願って言動をしてしまい、今思い返すと後悔だけの日々・・・もはや黒歴史です。。
鎮静剤
退屈な女より もっと哀れなのは かなしい女です
かなしい女より もっと哀れなのは 不幸な女です
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です
捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です
よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女
多分、そのドラマの中の桜井幸子さんのセリフはこの詩から来ているのだと思います。
『鎮静剤』は画家のマリー・ローランサンさんの詩だそうです。
「忘れられる女」それが一番の不幸だと、この詩は言っているのです。
確かに人間の存在と言うのは、相手の記憶に存在しているかどうか、それに尽きると思います。
その人の記憶に存在をしなければ、その人は死んでいるも同じで、つまりは存在していないのです。
serial experiments lain
私の好きなアニメの作品に『serial experiments lain』という作品があります。
この作品のテーマは、『存在は認識=意識の接続によって定義され、人はみな繋がれている。記憶とはただの記録にすぎない。』
ゲーム内でlainは肉体を捨てるらしいです。
ゲームの内容はlainという少女の記憶。それを集めてlainをプレイヤーが知っていく。
次第にプレイヤーはlainという少女が本当にこの世に存在しているのではないかと思うらしいです。
そして、それがlainの狙いで、相手の記憶に自分が存在している限り自分は永遠に死ぬことはない。
誰にも忘れられないでいる限り、その人は永遠にこの世に存在し続けることが出来る。
しかもネットで繋がっているのですから、どこでも誰とでも確かに今の時代は繋がっています。
lainはネットの中に存在しているのですから・・・今現代の人たちは殆どの人が電源は入れたままだと考えれば、みんなlainと繋がっていることになるのです。
ゲームをしたわけではないので、途中からは推測なのですが。
元に話を戻しますと、忘れられる女が一番哀れという言葉は、自分の存在を否定されたということなのかもしれません。
居ても、居なくても同じ。その人の人生に関われなかった、なんの意味も持たなかった。
ドラマの中の桜井幸子さんは、好きな人を嘘の証言で刑務所送りに確かするのです。
それに対して、何故そのようなことをしたのかと聞かれると、「忘れられないように」と答えるのです。
「刑務所送りにした女のことを忘れないでしょ?」だから嘘の証言をして、彼を刑務所送りにしたのだと言うのです。
もしも忘れられない女性になるのならば、死ぬ間際に幸せな思い出として思い返してもらえる女性になりたいものです。
現実とはそう簡単に出来ないとは思いますが、たった一人にでもそのような思い出を残せたら幸せなのかもしれません。