樹木希林さんが先日お亡くなりになったそうです。
ネットでは訃報により、過去に樹木希林さんが「死」について語った時の広告と内容が話題になっています。
樹木希林さんの「死」についての広告とは
引用元:https://mainichi.jp/articles/20160203/dde/012/040/011000c
こちらは1月5日に新聞の朝刊などで掲載された広告のようで、当時「就活宣言」のようだということと、シェイクスピアの「オフィーリア」を演じているのが印象的で話題になったそうです。
「死ぬときくらい好きにさせてよ」
人は必ず死ぬというのに。
長生きを叶える技術ばかりが進化して
なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して、
身じまいをしたいと思うのです。
人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。
それが、最後の私の欲なのです。
この広告を目にして思うことと、終活について考えて欲しいこと
訃報をネットのニュースで目にしてこの広告の内容を目にして、人々の反応を見た時に、呟いた人たちの年齢は全て把握をしてはいなかったけれども、人が「死」についてあまり身近に考えていないということを理解した。
若ければ当たり前だと思うが、最近の私は死は常に隣合わせだと思っており、年齢はまだ人生折り返し地点ほどの年齢だが、既に終活を始めていて、色々と自分がずっと大切に集めていた本や漫画やゲームや服なども処分している。
30代半ばで結婚を諦めた時に、早めに終活は始めようと思ってはいたが、なかなか行動には移せなかった。
本格的に意識をして行動を始めたのは多分『命の足あと』という作品を読んでからかもしれない。
今回の樹木希林さんもお年寄りの中では若い年齢での死だが、『命の足あと』の作品を読むと、死というものに年齢はないということを実感をする。
そして自分が死んだらその後にどうなるかということも、作品を読むととても理解させられて、色々なお話しを読んでいくうちに「よし!終活しよう」と思って少しでも自分の欲でまみれた荷物などを処分して残された人が困らないように何かしたいと思うようになるのである。
樹木希林さんは、この言葉以外にも死について
生きるのも日常、死んでいくのも日常
との言葉を残しているのだが、生きている人の中で毎日自分が少しづつ死んでいるという自覚をしている人はどれほどいるのだろうかと思ってしまう。
樹木希林さんはガンだったこともあり、いつ転移をまたしてしまうかなども考慮してそのように思ってしまうのかもしれないが、人の死は病気や年齢だけではないということも理解して欲しい。
そして私個人としては40歳や30代後半になった女性には婚活ではなく終活をして欲しいと思っている。
それこそ、この樹木希林さんの言葉のように、
死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して
こう思える人生の終わりを迎えるように生きて欲しいと思う。
疎む理由に結婚があるのならば、後悔のないように結婚を全力で頑張れば良いと思うが、それ以外にも死ぬ時に現世に心残りや後悔が生まれるならば、少しずつ叶えたり欲を手放して欲しいと思う。
私はよくどの話の中でも子どもがいないことを書くのだが、終活のことを考慮すると子どもはできなくて良かったかもしれない。
子どもがいたら多分最後の最後まで長生きしたいと私はあがくと思うから。
まだ結婚をしたばかりなので、新婚生活だったり夫との時間などには未練はあるが、少しずつ毎日の中でも後悔せず一緒にいる時間はこの瞬間だけだと思いながら大切に過ごしたいとも思う。
そして私が事故でも病気でも何かが原因で急に死んだとしても、迷惑をかけることなく荷物などは整理してからこの世を去りたいと思う。
だからこそ私は全ての人に早めの終活をすすめたい。
先日、政府が延命治療を中止する動きを宣言したとのニュースを目にしたのだが、ネットの反応では「生きるということは苦しいことなのだから、死ぬ最後の最後まで足掻いて足掻いて苦しい延命治療を受け続けてでも長生きしてやる!」と発言をしている人がいて、何人かの人が共感をしていた。
私はそれを目にした時に、正直個人的には「醜いな」と思ってしまった。
その人のツイート内容などを全ては見ていないが、多分見なくてもその人の日常は後悔のないような人生は送っていないと思う。
常に満たされずに自分の欲を追い求める毎日を繰り返していると思う。
私は死ぬ時は、樹木希林さんと同じような気持ちでこの世を去りたい。
なんの未練も後悔もなく、そして私は全ての関わった人間が私のことを忘れるという意味での「本当の意味で」身体も存在も消え去りたいと思っている。
若い時は「死んだあともいつまでも忘れないでいて欲しい」「沢山の人に悲しんで欲しい」と願って思ってしまっていたが、終活を意識して毎日を過ごそうと考えるようになると、少しずつその思いも消えてしまい、いつまでも残された人が存在しない過去の人間に(私に)固執をしないで毎日を常に更新して未来を生きて欲しいと思う。
「死」については人それぞれ思うことがあるだろうが、樹木希林さんの言葉の意味をもっと様々な人に届いて欲しいし、後悔のない人生を歩んで欲しいと願う。
樹木希林さんのご冥福をお祈り申し上げます。