診断を受けてASDとADHD両方とも重度(異常値)の数値だった私の経験談を色々お話ししたいと思います。
既に子どもが発達障害でどのように育てて良いか悩んでいる両親の人たちにも参考にして頂けると幸いです。
(診断結果などはこちらを参照してください)
※発達障害に限らず全ての子どもを持つ親にも読んで欲しいです
目次
「やめてください」と言えない人間に育つ原因は育った環境による
子どもが悪いことをした時は「何故いけないのか」を体罰ではなく理解ができるように教えてあげて欲しい
私の両親は所謂「毒親」と呼ばれる親で、子どもが自分にとって不快なことをしたら殴られたり叩かれたり、真冬に薄着の裸足で外に締め出したりするような家でした。
発達障害のせいなのか、何故怒られたのは正直分からず、殴られたり叩かれたりして痛かったことと、真冬や寒い外に薄着の裸足で外に出される辛さで号泣してドアを何度も叩きながら謝っていたのですが、これが逆効果で余計に叩かれたり殴られたりする流れになるのです。
当然ながらそれをすると「痛いなどの嫌な思いをする」というのを学習します。
それ以降は
怒鳴られたり叩かれたり殴られたりする=何か悪いことをした
という解釈と泣いたりドアを何度叩いても、余計に痛い思いなど嫌な思いを自分がするというのを学習するので当然泣かないし黙って外に言われるままに出ていました。
すると泣かない、謝らない、素直に言うことを聞き大人しく外に言われるままに出れば解決するのかと思えば「反省をしていない」と受け取られて私が嫌な思いをする流れを新たに追加してくるのです。
最初はベランダの外に出されていたのですが、近所から苦情なり何か言われたようで世間体を気にする親だったので出される場所は普通のベランダからベランダとしては活用せず物置として利用している陽の当たらない場所に変わりました。
いつものように「何故怒られたのか理由も分からない」状態で叩かれて外に出される時に母が言ったのは
「そこの場所にはムカデや毛虫や毒を持った虫が沢山出るから気を付けてね」
当然ながら怖くて泣き叫んで中に入れて欲しいと懇願しますが無視です。
私はパニックに陥ってただただ泣き叫んでいたと思います。
ただ、私には2歳上の姉がいてこの頃は常に姉と一緒に外に出されていたので、私が泣くと姉が「こっち来て」と言って綺麗な夜景の景色を眺めるようにすすめて気持ちを落ち着かせてくれました。
それから暫くすると姉は怒られることがなくなり、気付くと私ばかり叩かれたり殴られたり外に締め出される日々が続いたのですが、姉は締め出されたままになって忘れ去られた時も親の様子を伺いながら家の中に入れてくれたり、庇ってくれたりいつも助けてくれました。
とにかく今思い返すと、私の母親は私が嫌がることをする天才でした。
暗くて狭いところが怖いと知れば、気に入らないことがあると押し入れの中に閉じ込めたり、トイレの中に閉じ込めたり気が狂いそうになるくらいに怖さなどで泣き叫ぶのが母の理想の体罰だったのかもしれないです。
幼少期はそのような感じで「何故怒られているのか理解できない」まま終わりました。
子どもは動物ではない!知らないことが多い以外は自分と同じ人間だと言うことを忘れないで欲しい
言葉で会話のやり取りが成立する年齢になった時も、このしつけという名の体罰は続いたのですが、ある日私は体罰を受けるのが嫌で母親に聞きました。
「叩いたり殴ったりしないで、そうする理由を説明して欲しい。そうしたらちゃんと今は理解できるから直せると思う」
まだ子どもなので適格にこのように言えていたかは不明ですが、叩くのをやめて言葉で理由を説明して欲しいとは言いました。
すると母の口から出た衝撃的な言葉がこちら
「言葉のやり取りがちゃんとできない年齢の子どもは動物と同じだから殴ったり叩いたりしないと理解できない。サーカスで調教をされる動物たちと同じ扱いをしなければいけない」
この当時、母は20代半ばくらいの年齢だったと思うので若さゆえなのか、育児ノイローゼだったのか理由や背景は分かりませんし、今の母が自分が言ったこの言葉を覚えているのかも分かりませんが当時の私はこれを聞いた時に「そういう理由なのか」と母の思考が少し理解出来たと思ったことは覚えています。
その後も言葉を覚える度に理不尽に思えた母の言動に
「何故このようなことを自分がされるのか。言葉で分かるように説明をしてくれたら直すから説明をして欲しい」
(このような内容を子どもが母親に言っているのを想像して読んでください)
と伝えても返ってくる言葉は
「屁理屈を言うな」「生意気だ」「可愛げがない」
などの言葉で、特に理由はないのではないか。
母の理想の子どもに近い素直になんでも言うことを聞く姉と比較するからそう感じるのではないかという考えから、姉が小学校1年生になってから数年間は姉がいなくなれば自分への体罰や対応が変わるのではないか?
姉への愛情が自分に向けられるのではないかと思い、徹底的に幼少期に母が私にしたように姉が嫌がるであろう全てのことを姉にしていました。
それでも姉は常に優しく私に接するのが当時は余計に腹が立ち、母親に好かれている姉が羨ましくて怒られない姉が憎らしくてしようがないと思うことが度々ありました。
姉に幼少期に何度も助けてもらっておいて、子どもだからと言っても今思えば我ながら恥ずかしい人間でした。
当然母からは益々前よりも嫌われている自覚は増えてはいましたが、好かれよう好かれようとするたびに心の距離を感じていた気がします。
母親の言動が後々の子どもの人生に影響する
小学校に通い始めて、友達の家に遊びに行ったりする機会が増えると
「○○ちゃんの家は良いな」
という言葉を口にしてしまうことがありました。
すると母親の口から返ってくる言葉は
「あなたは表面しか知らないかもしれないけれども、○○ちゃんのお父さんはお風呂から上がったら全裸で家の中を歩いたりする家だけどそれでも良いの?うちのパパはそういうことがないでしょ?ママは絶対にそんな家嫌だわ。どの家もうちより良い家なんて存在しないわよ。後から後悔してもママは一度ちゃんと言ったわよ。それでも良いなら○○ちゃんの家にママから連絡をしておくから○○ちゃんの家の子どもにしてもらえば良いじゃない」
大体いつもこのような返事が返ってきて、これはいくつかバージョンがあり
・父親が酒乱で暴れる
・父親が母親に暴力を振るうのが日常茶飯事の家
オレンジ色で下線が引いている箇所の内容が毎回変わり、必ずいつもこの家がどれほど素晴らしく、自分たちがどれほど素晴らしい親なのかを熱く語っていました。
子どもなのでそれがどのような意味なのかは正直想像できていませんでしたが「母親は絶対に嫌だと思う家」「うちがどの家よりも一番良い家」ということだけは理解できたので、
「この家の子どもに生まれて良かったのだ」
と他の家の子どもになりたかったと思ったことを何度も反省していたので、正直大人になるまではどんなに家の中で孤立をしていても、家の中を居心地悪いと思っていても
「自分の家族が一番良い家族」
には思っていたと思います。
これは発達障害にはよくある話だと思うのと、今と違ってそのような病気がメジャーではなかったりネットなどもそれほど普及してはいなかったので、色々調べたり検証しないでそのままの言葉を素直に受け入れていました。
ちなみにこの母親の洗脳の言葉の流れなのですが、母親がこのような言葉で私を洗脳していたが故に私は成長してから何度もこの言い方で異性から言われるとまんまと騙されて洗脳されてしまうことが多かったです。
個人的に思うことは
「身近の人間である母親(自分を無条件に愛していると信じている存在)と同じ言葉を使う人、同じ言動をする人が自分を騙すわけがない」
どこか無意識の部分で、騙す人間を信じる=自分の母親を信じる行為にも繋がっていたと思います。
ここまで書いてきた通り、体罰なども含めて私が不快に思う言動全てを「愛情表現」と思っている母親だったので、当然のようにDV男性のような飴と鞭を使い分ける相手は母親と同じように思ってしまい、母親から欲しかった時期に得られなかった、姉に向けられていた愛情を、子ども時代の母親に似ている相手からもらえたらと思ってしまったように思います。
いくら周囲が「DVだよ」とか「騙されているよ」とか色々言っても、相手が「お前が好きだからこそ」と言ったら子ども時代に受けた母親と同じ言動なので真に受けて「そうなんだ」と思っていました。
恋は盲目というのもあるとは思いますが、育った環境だったり母親の自分への接し方にも問題があったのではないかなど色々今振り返ると思ってしまいます。
何故「やめてください」と言えないのか
まずはここまで書いた育った環境からでも理解してもらえるとは思いますが、
「やめてほしい」
幼少期から母親にそのように意思表示をして号泣して懇願してもやめてくれないのを知っているからです。
高校を卒業をして高級クラブのバニーガールの受付のバイトをしている時も、お店の幹部の人に本気で不快に思う言動を何度もされることが多く、見ている側も不快だったのだと思います。
他のバニーガールのお姉さんが角が立たないように幹部の人に
「○○ちゃん嫌がっているからやめてあげてくださいよ~。明日から来なくなったらどうするんですか~」
と冗談のような少し本気を交えて言ってくださった時に幹部の人の口から出た言葉は
「嫌がってるからするんだよ、だってこいつの反応面白いんだもん。お前嫌なのか?バイトやめるか?」
という衝撃的な返事が返ってきた時は、そのように人が嫌がっていると理解している上で面白がって嫌がらせをする人間がいるということを実際に現実で学び、なるべく嫌がっていることを顔には出さないようには気を付けるように意識をするようになりましたが直ぐには直せませんでした。
直ったら直ったで逆に嫌だと思っていないと思われて嫌がらせがエスカレートすることも中には多々ありました。
夜の仕事では大体がホステスのお姉様か黒服の人が助けてくれるので、どうにか傷付くことなく働けたのですが、昼の仕事では誰も助けてくれず、正社員で働いていたある職場では出向先の大企業の部長からセクハラをされ続けて我慢の限界に達して上司に相談をしたのですが”ちょっと激しいスキンシップだと思ってよ””私一人が我慢すれば皆が助かる””仲良い人たちが同じ目に遭うのと自分がされるのとどっちが良い?”(本当にこのように言われて、みんなが仕事がなくなったらどうなるのかな?とか反社会的の人が言いそうな言葉をいくつか言われて選択させられた)このような言葉が返ってきて、自分が我慢したら複数の人のためになるという言葉を信じて・・・正直どう対処して良いのかが分からないまま静かに耐えて精神が壊れてしまうまで我慢をして最終的には働けなくなりました。
転職の理由は殆どが性的嫌がらせで、その次に虐めもしくは精神を追い詰めるような嫌がらせが多かったです。
定型発達者の何人かには何度か相談をしたこともあるのですが、大体返ってくる答えは
「言えばいいじゃん」「私されたことないんだけど」
などで言えない私に非があるような言葉しか返ってきませんでした。
当然母親にそれとなく伝えても
「私は今までされたことがないから、こうも何度もされるということはされるあなたに問題があるんだと思う」
と言われ、性的嫌がらせが何度かあった時に母親に伝えた時も
「無意識に自分から誘っているんじゃないの?」
と言われたこともあり、当時付き合っていた前に書いた母親に似ている人からも同じことを言われ、そのような発想を抱いていなかったこともあり、特に無意識に知らない間にそのような言動をしている可能性が怖くて、その言葉が実はかなり何か性的嫌がらせや虐めをされた時に今でも必ず考えの一つに頭を過ってしまい
「私自身が招いた結果なのでは」
「私が悪いのではないのだろうか」
「自分自身が無意識にそのようなことをしているとしたら自分はなんて気持ちの悪い人間なのだろか」
そのように思うようになってからは、自分という存在が恥ずかしい人間にしか思えなくなり「自信」とは無縁の人間になってしまったと思います。
大人の発達障害:「やめてください」と言わないからしても良いわけではない
結論的に「空気が読めない」とか「人の気持ちを想像できない」などと世の中では言われていることが多いですが、発達障害の人は発達障害の人なりに考えて悩んで出した結果で言動をしているし、努力もしています(気を抜いたらそのようなことをしてしまうこともあるかもしれませんが、職場内では常に気を張り続けて働いています)。
幼少期に至っては、親から生まれてまだ何年も経っていないのに 大人と同じ対応を求められてもできないし分からないことばかりです。
大人になった今でも自分が今どのような感情でこのような気持ちになっているのか分からないことが多いのに、生まれてまだ数年しか経っていない子どもならば尚更です。
少しでも分かるように説明をしてあげて欲しいし、今は体罰も虐待と言われる時代なので体罰などはないとは思いますがちゃんと向き合ってあげて欲しいです。
親がどれだけ発達障害や子どもと向き合う時間を作ったかによって、子どもの未来は大きく変わると思います。
「やめてください」
この言葉を言えないような人間に親自身がしないようになるべく気を付けてあげて欲しいのと、嫌なことは嫌とちゃんと言葉で言えるような人間になるように気を付けてあげて欲しいです。
全ての発達障害の人が私自身と同じではないのと、幼少期の経験的にもはや発達障害がどうこうではないような気もしますし、あくまでもこれは私自身の経験の一部によるもので「やめてください」と言えない要因は他にもいくつもあるとは思います。
ただ子どもが発達障害だと分かった場合は、なるべく体罰など子どもが嫌がるようなことはしないように意識をしないと、後々にこのような人間になる可能性もあるということを少しでも理解してもらえたらと思います。