「鈴虫寺」は願い事が叶うだけではなかった!叶わないと嘆くのはまだ早い

前回のお礼参りで鈴虫寺に参拝に行った際に、不妊治療をしていた私は夫と2人で同じことをお願いしようと言ってお地蔵様に「赤ちゃんが授かりますように」とお願いをしました。

以前付き合っていた彼に振られた時に、藁にもすがる思いで2年前のGWに訪れたのが京都の「鈴虫寺」でした。 昨年は結婚準備などでバタバ...

結果あれから2年くらい経ったのですが赤ちゃんは授かることなく願いは叶いませんでした。

自分自身でも「まだ時期ではないのかな」と言い聞かせる日々でしたが、一時期は子どもが授からないことに不妊治療のこともあり、心身病んでしまった時期もありましたが、自分の中でも少し諦めの気持ちがあり前向きに子どもがいない人生を視野に入れようと思うようになっていました。

鈴虫寺の願い事の効果は忘れた頃に叶う

そんな願いごとをしたこともすっかり忘れていた頃、私は先月ずっと気になっていた「発達障害検査」を病院で受けてきたのですが、結果は自分が思っていた以上に悪く「ASDとADHDの発達障害」と診断されました。

ここ最近何かと話題になっており、テレビでも取り上げられる機会が増えたことからやたらと目にするようになった「発達障害」という言葉。 何気...

診断結果はずっと通院をしている漢方外来の先生に伝えたのですが、先生から言われた言葉は

「不妊治療とか無理して子どもを作らなくて良かったわね。発達障害は遺伝するから、あなたには発達障害の子どもを育てるのは無理よ」

最初言われた時は先生にそれを決める権利はないのではないか?なぜそんなことを言われなければいけないのか?と思ったのですが、実際冷静に考えると確かに私自身が発達障害で生きてきてかなり大変だったことや、心身弱く寝込むことが多く、普通の日常を過ごすのはかなり無理をしないといけないということなども考えると、仮に子どもができていても育てられていたかは分かりませんでした。

子どもがいない今でも私の体調不良などで夫に仕事も家事も頼む日が多い中で育児もプラスになること、しかも家に発達障害者が2人いるというのはかなり夫の負担を考えると…今の2人だけの生活がベストのように思えました。

夫は自分が無理をしたら大丈夫なのではないかと思うところもあったみたいですが、発達障害の私自身の中では今でも外で上手に人と私が接せられないのに、子どもにどのように教えれば良いのかなど想像ができませんでした。

鈴虫寺で叶わない願いには意味がある

願ったことは叶わなかったですが、私たち夫婦にとって一番良い結果をもたらしてくれたように思えました。

人によってはこじつけのように思うかもしれませんが、鈴虫寺の住職さんのお話をそのままの意味で受け止めた場合、お地蔵様はお願いを叶える前に願った相手のことを暫く遠くからとかどこかで見ていたりして、その上で例えば復縁を願っても復縁相手が参拝者を不幸にすると思ったら復縁の願いは叶えなかったり、結婚したいと願っても結婚しても幸せになれる未来がないと思ったら(夫をATM扱いして煩悩まみれやストレスに溢れるとか)結婚の願いを叶えないとかあるのではないのかなと思います。

おみくじの内容ではないですが「お願い事をするに見合った生活をしているか」ちゃんと誠実に生きているかも見ていると思うのです。

本人にとっては”願いが叶わない=不幸”でも、何年も先になって忘れた頃にはその願いが叶わなくて良かったという流れを作ってくれるのが鈴虫寺のお地蔵様のような気がしました。

不妊治療に通っていた時は「鈴虫寺にお願いもしたのに」なんで?どうして?と月のものが来るたびにメンタルが壊れていって泣いてる日が多かったようにも思いますが、諦めて忘れた頃の今に”発達障害”と診断された今は叶わなくて良かったと心から思えます。

なので、もしも願いが叶わなくても必ずその「叶わなかった」事実が幸せに思う日が来るので落ち込まないで欲しいと思います。

結果的にお礼をしたいと改めて思ったので、今年か来年のお札の期限が切れる頃に再度参拝に行きたいと思います。

発達障害の検査を受ける前、自分では「軽度」もしくは「中度」くらいだと思っていたので結果が異常値だったり発達障害でも二つの傾向がある中でどちらも同じ数値で二つとも自分に備わっていることを知った時は正直かなりショックでした。

診断結果が出た後に自分でも色々と調べてみたところ、発達障害の人の配偶者の殆どが離婚を考えるみたいでした。

というのも発達障害の人と結婚した配偶者はカサンドラ症候群という病気になってしまうそうで、自分自身のことも考慮すると一緒にいるには余程の覚悟が必要のようでした。

鈴虫寺で恋愛成就を願って結ばれた相手とは

発達障害が判明した時にネットで様々な人の意見などを参考して私個人が出した答えは”離婚”

早急に結果を出し過ぎなのではないかと思われそうですが、あまり夫には負担をかけたくないというのと、治る病気ではないなどの判断からそれを考えてみて欲しい旨を夫には伝えたのですが、返ってきた答えはネットで検索して目に入った内容とは全く違うものでした。

「発達障害だろうとなかろうと気持ちは変わらない。ただ今の妻(私)に何かがプラスされたというだけで、それで自分の中の何かが変わることは全くない。だから余計な心配とか不安な気持ちになったり、自分を追い詰めるような考えはしないで欲しい」

とのことでした。

子どもが元々好きな夫で、結婚をする前から子どもが欲しい話は聞いていたので不妊で授からないということを知った時は私自身が夫に対して申し訳ない気持ちを抱いてしまっていました。

世の中には子どもが授からない=離婚をする人もいることは幼少期から母親から聞いていたこともあり、それは自分の中でも覚悟はしていましたが、その時も夫は

「なら将来、犬か猫を飼うのはどう?それか二人の時間を大切にしよう。僕はそれほど重く受け止めていないし、それはそれで良いと思っているから、そんなに自分を責めないで欲しい」

など優しい言葉をかけられました。

結婚当初は夫婦喧嘩が絶えなくて、かなり離婚の危機はあったのですが、今では喧嘩などすることもなく、だからと言ってお互いが相手の顔色を伺って我慢をしているわけでもなく楽しく生活をしています。

もしも願い事が叶っていたら、私だったら発達障害による心身不調を抱えた上での子育て、夫はそんな私をサポートしながらの生活でお互い疲労や我慢などを抱えて今のように穏やかで楽しい毎日は過ごせていないように思いました。

「鈴虫寺で願い事が叶わない」と嘆く前に

私のように数年後に叶わなくて良かったと思う人もネットで検索をすると何人もいらっしゃったので、願い事が仮に叶わなくても悲観にならないで

「叶わないのは叶わない方が良いだけの深い理由がある」

と受け止めて欲しいと思います。

何か現状悩みを抱えていて、自分ではどうしたら良いかなど悩んでいる人にも是非「鈴虫寺」で参拝をすることをおすすめしたいです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

オススメ記事▼