人間も脱皮する!?人生は1度だけではなかった!

よく「人生やり直せたら」「今の自分の殻を破って新しい人生を」などの言葉を耳にしますが、実は今生きている人たちは既に1度脱皮をしている人たちなのだそうです。

これを聞くと多くの人が「人間が脱皮!?蛇や昆虫じゃあるまいし」とお思いになることだとは思いますが、ある一部の宗教ではそのような思考があるそうなので、どのような思考なのかを今からお話しして今後の人生を歩む上での参考にして頂ければと思います。

人間の脱皮について

まず脱皮の定義とはどのようなものなのかについてネットで検索をするとこのような説明が出てきます。

脱皮とは

脱皮とは、ある種の動物において、自分の体が成長していくにつれ、その外皮がまとまって剥がれることである――wikiより

この「人間は人生の中で2回脱皮をする」という宗教の思考から説明すると、まず土台には人間が存在するのはその人間の魂の成長のためであるという思考が土台にあります。

その土台から話を進めていきたいと思います。

赤ちゃんは親を選んで生まれてくるという説

不妊で赤ちゃんが授からない時によく妊活掲示板などで目にした言葉がこの言葉です。

「赤ちゃんは親を選んで生まれてくると聞くのに、何故子どもに虐待するような親の元には子供ができて自分にはできないのか」

確かに”人間は幸せになるために生まれてきた”という言葉があるように、確かに幸せを願って生まれるならば何故虐待をするような親を選んで赤ちゃんは生まれてくるのか謎にはなると思います。

しかし”魂が成長するために自分と似た業を持っている親を選んで生まれてくる”となるとどうでしょう?ちょっと納得がいくような気がしませんか。

私は何かを調べている時にこの言葉を目にした時に妙に納得をしました。

実際に自分の親を観ても然りです。

自分の人生でつまづいたり悩んだりしている点は親にも共通して見受けられることが多いのです。

そういうことから一部では「親の因果が子に報う」という表現が使われているのだと思います。

その思考で物事を考えると「何故虐待をするような人間の元に赤ちゃんは生まれてくるのか」という理由としては業がある人の方が赤ちゃんは生まれてくる可能性が高いという考え方もできます。

個人的には何故聖職者の人のような立派な人たちはその遺伝子を残さない人が多いのかという謎も、宗教上だったり思想だったりで子孫繁栄の行為=性欲に繋がるからという考え方もあるかもしれませんが、聖職者=業がない人間という考え方をすると、赤ちゃん自身が自分が成長できないと判断して親として選んでいないからという考え方をすると、妙に納得してしまいます。

実際は聖職者レベルになると人類皆兄弟という思考により、特定の誰かに感情を抱いたり欲を持ったりしないからだとは思いますが。

人間の一度目の脱皮について

人間は生まれてくるまでに十月十日母親の胎内で過ごしてから生まれてくることから、一度目の脱皮というのは母親の身体から脱ぎ捨てて生まれてくることを指すそうです。

正直これを目にした時は母親はあくまでも自分が成長するための過程でしかなく、生まれてくる段階で脱ぎ捨てているという解釈になんともいえない気持ちにはなりますが、あくまでも”脱皮”という定義で考えると納得してしまいます。

そして人間は母親から脱皮して生まれてきて、第一の人生が始まります。

この第一の人生では第二の人生をより良い人生にするための修行の場だという認識を持って本来ならば生きなければいけないそうです。

それこそ自分が背負っている業をいかに減らすか、これ以上業を増やさずに、いかに徳を増やしていくかという考えの人生です。

よく「人生一度っきりだから、後悔のない生き方をしなきゃ」という台詞がありますが、人生は実は2回あると知るとなかなか怖い無知が故の台詞のようにも思えます。

今の人生がとても苦しくて辛い人こそ、この事実に気付いて2度目の人生が少しでも楽になるように自分自身も含めて頑張らなきゃとは思ってしまいますが、人間なかなか簡単にはいかないですよね。

嫌なことがあれば頭では理解しつつも、その相手を恨んでしまったりもしますし・・・。

実際にこの一度目の人生での現世では、魂視線で見ると魂のレベルはごちゃまぜで存在しているそうです。

高尚な魂の人もいれば、凶悪な魂の人もいるような状態がこの現世だと言われています。

だから当然自分とレベルが合わない人が沢山いて当たり前なのだそうです。

この世は全て対極で成り立っています。

良いことを学ぶには必ず悪いことも学ばなければいけない、そのためにも自分に合わない人たちと向き合って辛い経験を乗り越えて成長していかなければいけないと聞きます。

人間の二度目の脱皮について

人間の二度目の脱皮はもう既に勘付いている人もいるとは思いますが、そうです。

この私たちの肉体の寿命を指します。

身体の寿命が尽きて死んでしまった後に第二の人生はスタートするとのことです。

一時期色々な書物を読んで得た知識なので、特にどの本に書いてあったかは詳細には覚えていないのですが、身体の寿命が尽きて魂としての第二の人生がスタートする時は同じ魂レベル同士が集まっているそうなので、今の現世で頑張った人は頑張った分だけ幸せな人生を過ごせるということになります。

当然ながら同じレベル同士なので嫌がらせや不快なことをする人間は誰もいないそうです。

しかし、もし現世が辛くて苦しいことばかりだったが故に卑屈になってしまったり、第二の人生を考慮せずに魂の成長を放棄してしまうような人生を歩んでしまったとしたら・・・。

当然ながらその怠けた時間は次の人生にも持ち越されるので第二の人生でも同じ苦しみが続きます。

そういう思考に意識を向けると、第二の人生までのカウントダウンを考えると、それまでに魂レベルを少しでも上げなきゃと思うとなかなか人生とは短いものです。

今の人生に不満があり人生をやり直したいと思う人に「こういう思考もあるんだよー」というくらいの気持ちで少しでも参考になればと思います。

一番の幸せは今の人生も、第二の人生も幸せになることですよね。

お互いそのような人生を過ごせるように残りの人生意識して生きれたら良いなと思います。

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