『日本語と日本人の心』を読み、『異国迷路のクロワーゼ』の魅力を知る

「日本語と日本人の心」という本を読みました。

日本語についてなどのシンポジウムで小説、心理療法、詩の第一人者が語った講演会の内容なのだけれども、それぞれの人たちが外国の人と日本人との話をしてくれるのです。

川端康成の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」っていう有名なところって海外では省略されて訳されていないのですって!!!

川端康成の作品はかなり訳されて売られているのは省略されている部分が多いから、本来の内容と異なっているらしいのです!

それはね、わざと訳せない言葉ばかりの日本語や表現の言葉を使って書いたからだって言う発想が面白いです(笑)

三人の人たちも各それぞれ何かを書くときは、伝えた気持ちを込めるためには、やはりその国の人たちの気持ちになって書かないと書けないらしいです。

つまり日本語の言葉で書いた書き物は日本の心にならないと読めなくて、海外の作品においても、やはり日本語に訳された段階で本来の意味とは異なって伝わってしまっているっていうことなのだろうね。

古典文学においても、私は枕草子の古文も現訳も読むのだけれども、古文が読めた上でじゃないとやはり分からない世界ってあると思うのです。

現在と平安時代は違う時代背景も含めて、そういうのを読めた上で訳された内容を楽しむ部分を高校で知ったのだけれども、そのことも書かれていたこともかなり興味深いなと思いました。

こういう本を読むと、やはり私は日本で日本人に生まれて良かったなと思います。

最近お気に入りのアニメの中に「異国迷路のクロワーゼ」という作品があります。

異国迷路のクロワーゼ


あらすじ

19世紀後半、西欧において日本の文化が流行していた時代に、単身フランスへと渡った日本の少女・ユネ。パリの下町アーケード商店街「ロアの歩廊(ギャルリ・ド・ロア)」の一画にある鉄工芸店「ロアの看板店(アンセーニュ・ド・ロア)」で働くことになった彼女の成長と、若き店主・クロードとの交流を描くパリ滞在記。(wikiより)

上記の内容のような作品なのですが、異文化の中での本来の日本人というのでしょうか?
凄く美しい存在に感じられました。

あと湯音ちゃんの子どもなのに、大和撫子の心を忘れない控えめな言動や奥ゆかしさも美しいです。

作品の最初の頃、フランスに着いたばかりの頃に、フランス語が分からないだろうと、フランス語で悪口?を言われるのですが、湯音ちゃんは黙っているのです。
悪口を言う相手はフランス語が分からないだけだと思うのですが、ただ気持ちを押し殺して黙っていただけで、フランスで働くことが決まってから湯音ちゃんは日本で既にフランス語の勉強をしてきていたのです!

ちゃんと働くに当たっての心構えにしても、色々この作品は学ぶところが多いです。

この作品に触れてから、前以上に日本について沢山もっと知りたいし学びたいって何故か日本人なのに思った作品です。

カミーユ様のような上品で奥ゆかしい女性も、でも凄く素敵だと思います。

どの国の方々も品のある方は美しいと思います。

品のある言動をしたいと日々やはり心がけなければいけないと思いました。

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